「VALUでアート」

valu内のアーティストを繋ぐ試み。
Ryuji Ozawaが称揚する作家、および、この企画に賛同される作家、
彼ら・彼女らのプロフィールと作品2~4点を紹介するとともに、
Ryuji Ozawaによる、可能な限り平易な文体で紹介=称揚=批評する試み。
valuおよびnoteを超えて、更なる広がりを模索する企画。

アート・マーケットやアート・ワールドを前提とした、世界標準の現代アートは確かに存在します。ただし、日本は、美術家にしても批評家にしても、
世界標準の現代アートに接続する手立てが限られています。
世界標準の現代アートを見据えながら、日本という悪い場所には、世界標準の現代アートという厳格なルールは存在し得ず、
明治時代に国家が無理矢理に導入し選別した美術(たとえば洋画と日本画)が曖昧なままジャンル化し、まるで機能していないことを逆手にとり、
当時は無視に近かった横尾忠則や岡本太郎、成田亨と村上隆や飴屋法水らを接続し、日本の現代アートをリセットすると豪語し、
「日本ゼロ年」展をキュレーションしました。しかし、そこにはアニメは入っていなかったし、日展やイラストも、果てはラッセンなどの、
いわゆるインテリア・アートも触れられさえしませんでした。後で気がついたのですが、それはリセットし得ていなかったのです。
ここで私が夢見ているのは、つまり、世界標準の現代アートというアート・ワールドやアート・マーケットを見据えつつ
(いや、そう言っているだけで終わるかもしれませんが)、valu内において、美術というジャンル、美術表現という表現世界を一緒くたにキュレーションし、
一堂に会したら非常に有意義で、素晴らしいのではないか? それを契機に少しでも美術のvaが売買されれば一石五鳥くらいの成果になるのではないか? 
そして、それもまた立派なアートであり、美術ではないか? 世界標準の現代アートという規格に限定すれば、それは、あれかこれかを追究し
少しでも新しいことを称揚されるでしょう。しかし、それとは別に多様多彩に存在する美術表現もまた、価値があり、
そこでは、きっと、あれかこれか、ではなく、あれもこれも、という多種多彩な素晴らしい混乱・混沌状態を皆で楽しめるのではないか? 
多種多彩な線を引き続けること、その線で一杯にしてしまうこと。

「VALUでアート」イントロダクション

「現代美術」のとりすました視線からはまったく無視されてきた無名の創作家や、「田舎絵描き」、
美術教育や美術業界とはまったく無縁の作家たち、場合によってはまったく異なるジャンルで発表された研究/発表といったものも、
どんどん認知されるべきであろう。むしろ、これからの「美術」は、その特異性ゆえに個別のジャンルからはみ出さざるをえない表現や研究が、
様々なかたちで唐突に出会う、一種の開かれた場として考えられるべきなのではないか。
椹木野衣『「爆心地」の芸術」123ページ 「日本ゼロ年」より

「VALUでアート」前提コンセプトnote/過去の経緯やコメントなどは、こちらで。

■Artist List■

ものが新しいものとして蘇える/hitoshina